プログラムについて

MD研究者育成プログラムに期待する

1. 医学研究の重要さ


前医学部長 
清水孝雄 
(現理事・副学長)

 医学研究には、基礎研究と臨床研究がある。前者が主に生命現象に関する純粋な興味から出発するのに対して、後者は病気から問題提起を受ける、と言われている。Interest-driven, Disease-orientedと区分される所以である。

本プログラムは主として、Interest-drivenの研究者を育成することに主眼があるが、将来臨床研究を進める上でもプラスになるはずである。若い頃に基礎的な研究の知識、技術、考え方を身につけておくことは、その後臨床研究医になる上で必ず役に立つであろう。

 目の前の患者さんを救うのはとても大切なことだ。私自身も「赤ひげ先生」に憧れて医学部に入った。(ちなみに、最近、黒澤明監督の「赤ひげ診療箪」をみた。これは東大医学部前身の小石川養生所が舞台である。悪代官や吉原の女将から民を守り、治療費の払えない患者には無料で施療する、良い医療をするには社会が良くならなければ、というメッセージが伝わってくる。これこそ医の原点である。若き日の三船敏郎と加山雄三が好演しているので一度DVDで観賞されることをお勧めする。話がずれたが)。

 一方、病気の新しい診断法や治療法を創り出すことはもっと多くの患者さんを救うことになるはずである。その多くが基礎研究から芽生えたものであり、明日の医療を作ろう、という気持ちが、「医学研究をしよう」という意欲の原点である。実際に多くの基礎研究から画期的な治療法が出来たことは数え切れないほどある。

 残念なことに、全国的に基礎の医学者が減少している。初期臨床研修が義務化され、臨床志向が顕著に進み、学会認定医、専門医などの制度が次々に出来てきているのも一つの理由である。初期研修をオールラウンドに2年間経験し、それから自分の専門分野を決め、後期研修に3~4年を費やす。次に専門医という定められたトラックを走りきったとき、30代の半ばになっている。多くは、その時に目の前の患者の治療の難しさを実感することとなるが、治療法の無い患者と向き合っている無力感と先の見えない疲労感に襲われている多くの医師を見てきた。誠実な臨床医であればあるほどその傾向は強い。

 今更基礎の大学院へ、と思うにはハードルが高く、また、臨床研究を進めたくともどの様に問題を整理し、どの様な方法で解決したら良いか計画がたてられないのである。本来、能力を持ち、向上心にも溢れる医師がこの様な状態になることにPAIDS(paralyzed academic investigator's disease syndrome、麻痺状態となった大学研究者症候群)という「病名」をつけたのは、コレステロールと動脈硬化の研究でノーベル賞を受賞したJoseph Goldsteinである。Goldsteinはこの「病気」の原因は基礎的訓練の欠除によると明快に結論している (Goldstein, JL (1986) On the origin and prevention of PAIDS (paralyzed academic investigator'sdisease syndrome) Journal ofClinical Investigation 78, 848-854)。東大でも多いときは一学年25名もの学生が基礎研究に進んでいた。現在彼らは、全国の大学や研究所で教授として活躍している。ところが、この数は減少する一方であり、他大学ではこの傾向がより顕著である。また、多くの大学で基礎医学の教授や准教授を選ぶのに医系教員を探しているが、どこでも枯渇している。東大で多くの基礎研究者を育て、全国で活躍して欲しいという希望は、多くの大学の医学関係者からも出されている。

2. 医学研究の面白さ

 医学は生命科学の中でも特に魅力ある学問である。それは人を対象にしており、病気に結びつきやすいという面もあるが、医学部の4年間で、形態学(解剖、組織、病理学)、分子生物学、遺伝学、生理・薬理学、免疫学、微生物学、社会医学(法医、環境医学、毒性学、公衆衛生など)を幅広く勉強し、さらに臨床実習(BSL)などを経験するという多角的アプローチが可能という特徴にある。これは生命科学関係の他学部との決定的な違いである。

 例えば、生化学の講義で、君たちはプロスタグランディンが発熱中枢でサーモスタットの役割を果たしていると習う。しかし、cAMPやカルシウムがどうしてこの様な機能を果たせるかの機構は依然として不明である。細胞周期は多くの因子で正確に制御され、そのわずかな狂いがガンになる。細胞内の輸送システム(モータータンパク)の異常が体の左右が逆転する病気を引き起こしたり、神経変性疾患に結びついたという様な話も聞いていくはずである。多数の細胞内シグナル伝達系はどの様に調節されているのか、一つの細胞がどの様に分化し、臓器を作り、個体を作るのか、30兆個あるという細胞はお互いにどの様に連絡を取り合い、その中枢はどこにあるのか。これから生理、薬理、免疫、病理や社会医学の講義と実習を受けると、こうした疑問はさらに大きくなり、発達した現代医学でもまだ分からないことが山ほどあると言うことに気づくに違いない。そうした基礎的な課題を解き明かすことは将来病気の治療に結びつく大きな可能性を持っているのである。そして、それはより多くの患者さんを救うことになるはずである。

 優秀な頭脳がさびない様に、あるいはparalyzed状態にならないように、基礎的研究訓練をなるべく早く始めよう。それが今回のプログラムの主旨である。

3. PhD-MDコースとMD研究者育成プログラム

 医学部では6年前からPhD-MDコースをスタートさせ、既に7人の学生がこのコースに入っている。全国でも最多である。FQ(フリークオーター)などで教室を回った学生は気づくと思うが、彼らは生き生きと楽しそうに研究をしており、将来、基礎でも臨床でも活躍してくれると思っている。PhD-MDコースは早い時期に研究に集中出来る良い制度だが、参加者は学年1~2名と限られている。

 この理由は様々だが、級友と離れる、医学部を途中休学する、医学部の勉強が中途半端で医学生の特長を生かし切れない、医師免許がない、などの要因が考えられる。新しいMD研究者育成プログラムはPhD-MDコースにいくつかの改良点を加えた新しい制度であり、学生は通常の医学の勉強と共に、このプログラムを時間外に取ることとなる。少人数ゼミナール、海外実習の推奨、英語コミュニケーション力の養成などに加えて、自由時間は研究室で実験を行うこととなる。詳細はこの小冊誌やホームページで案内され、また、随時アナウンスされていくと思うが、休学せずに卒業試験も受け、国家試験も受けて大学院に入るという点でPhD-MDコースと異なっている。もちろん、研究が非常に面白くなり、数年間集中して研究に打ち込みたい場合はM2まで修了していれば、PhDMDコースへの編入が可能である。このプログラムは基礎、臨床の多くの教授の賛同と協力により、この4月から本格的にスタートする。既に他大学で似た制度の検討しているところもあり、全国的に不足している基礎研究者育成の主要な道となると信じている。君たちの積極的なチャレンジを期待したい。

 (平成20年3月)