プログラムについて

基礎医学研究とMD研究者育成プログラム


医学部長
岡部 繁男

医学・生命科学の研究は過去の数十年間に大きく発展しており、他の科学の分野に比較してもその進歩と知識の集積の速度の大きい分野になっている。さらに医学・生命科学分野での発見は、ヒトの疾患の原因解明と診断法・治療法の開発にもつながることが多く、人類の福祉に貢献してきた。このような理由から、社会からの期待も大きく、現在、COVID-19のパンデミックが大きな影響を与えている状況においては、更に実用化を意識した研究への社会的な要請が高まっている所である。

一方でこれまでの医学研究の歴史を振り返ってみると、基礎的な生命現象についての研究が進展し、知見が蓄積する時期と、それが実際に診断・治療への応用に到達した時期の間にはしばしば大きな隔たりが存在する。パンデミックを例にとっても、1910年代に流行したスペイン風邪の際には、その病原体は当時全く不明であり、人の接触を回避することで流行の拡大を阻止できる、ということは認識されていたが、生物学的な知識を基盤とした対策を取ることは不可能であった。その後、スペイン風邪についてはH1N1亜型インフルエンザウィルスが病原体であることが特定され、基礎的な研究が地道に行われた。特にゲノム配列の解析技術が効率化し、多くの変異ウィルスの解析が可能となり、このような技術はインフルエンザウィルスの変異株、更にSARS, MERSなどのコロナウィルスのゲノム配列の研究にも活用されている。今回のCOVID-19のパンデミックにおいて、感染予防のための原則はスペイン風邪の際と大きく変わらないにしても、そのワクチンの設計、製造、利用が前例のない速さで実現したのは、スペイン風邪以降の100年間でのウィルス学、免疫学、ゲノム研究の進歩が貢献したために他ならない。このように、基礎的な生命現象の理解には数十年という時間がかかること、多くの研究者が多様な視点とアプローチを用いて積み上げた医学・生命科学における発見の積み重ねによることを理解すべきである。

医学部生は当然人の命を救い、その人生を豊かにするという大きな目標をもって大学に入学しているので、自分が現役として活躍する間にその成果が応用されるところまでを見届けたい、と考えるのは自然である。そのような考えを私も大切だと考える一方で、未知の生命現象について探索的な研究を行い、将来的には疾患の克服に役立つ可能性のある大きな発見をしたい、という気持ちを持つ学生も増えて欲しいと思う。これまでの医学研究において飛躍的な研究の発展がなされたのは全てそのような探索的な研究がきっかけであり、最初は細い水の流れがやがて小川となり、最後には大河となって海に注ぐ様にその研究テーマが発展していくことで新しい分野が生まれていく。そのきっかけを作ることとなる研究を始めることは研究者にとっては何物にも代えがたい喜びである。

このように書くと、新しい分野を作るきっかけとなる仕事ができる研究者はほんの一握りの人々なので、そんな割の合わないことを仕事にはしたくない、という声が聞こえてきそうである。探索的な研究を行う以上、その中で全く新しい生命現象にたどり着くものは数少ない、というのは確かにその通りだが、ではそれ以外の研究者は充実した研究生活を送れないのか、と言えばそれは間違いである。これは当たり前の事で、それぞれの研究者は独自の発想と視点から自由な研究を行い、新しい発見をすることで自己実現を果たしている。研究者にとって一番の喜びは、世界中でまだ誰も見ていない生命現象を自分が最初に見ている、という体験であり、これはその後に続く論文の発表やそれに対する他の研究者の評価といった事をはるかに超える報酬である。医学部生の間に、研究体験を通して純粋に知的な達成感を経験することが出来れば、その意味は更に明確になると思う。MD研究者育成プログラムに多くの学生に参加してもらいたい大きな理由はここにある。他の例を挙げるなら、優れた運動選手はお互いに競争し、オリンピックで金メダルを取ることを目指すが、彼らは日々の練習や試合においてより良い記録が出ること、新しい技を完成させること、といった目標を達成することで大きな喜びを得ているはずである。金メダルが取れるきわめて低い確率を考えてトレーニングを投げ出す選手はいない。彼らは運動を通しての自己実現を求めているのであり、研究者も同様に自分で研究テーマを決め、実験計画を立て、実験を遂行しデータを得ること自体が喜びなのである。もちろん高い目標を立てればそこに到達するための困難も増えるが、大きな困難を克服した後の喜びは更に大きくなる。

MD研究者育成プログラムは2007年に立ち上がり、その時の室長を務めさせていただいた。このプログラムが発展し、多くの医学部生がこの活動に参加し卒業後に基礎研究の道に進んだ学生も多いことは、大変すばらしいことである。学部生の間に自らの手を動かして実験し、誰も知らなかったことを発見する体験をしてもらいたい。またそのような体験を卒業後のキャリアに生かしてもらいたいと心より願っている。

2021年5月

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